「幻想世界のリスタート」





 ――幻世、神暦225年
 商業都市『ラ・ヴァローテ』

 上空362m




 潮風は今日も変わらず大気を駆ける。
 地上より若干高い故だろう、心なし強く感じる陽射し。
 鳥類のみに――この世界に限ってはそれのみに限られないが――許された聖域。
 そこへ、不釣り合いな影が二つ。


「――おう、よく来たな」


 眼下に雲と海とを見下ろしながら、化学繊維がほくそ笑む。
 笑みそのままに首だけを動かし、つい今し方まで眺めていた『彼女』を示す。






「…………」

「……というわけで、お店は今もやってるのよ?」

「…………」

「最初は娘でなんて物を作るのって思ったけど……ふふ、メリルもどきって働き者ね。見た目も可愛いからかしら、そこそこ人気もあるみたいで――」


 あれから、二年。
 二十歳を迎え、大方の世界で成人と認められる年齢になったメリルは――今も、椅子に揺られたまま、意識無きままそこに在る。






「いやはや、我ながら時間の掛かる方法を取っちまったもんさ」


 熊頭は被り物の外から頭を掻くと、深く、深く溜息を零す。

 常に表情の変わらぬ、作り物の頭。
 それ越しでも消沈した事が目に見える程の溜息。

 それが、ウソであったかの如く、刹那の内に調子を変えると、普段同様にふと、呟く。


「カリオストロの城を知ってるな?」


 そう、問うだけ。
 答えは聞くまでもない、そう言いたげに、間髪入れずに言葉を続けた。


「この間ね、ちょいとした事でコイツを分析するって妙な作業に手を出してな。
 話の本筋ってあるだろ、よく誤解されるらしいんだが、アレの本筋ってクラリスの救出じゃないんだよ
 あくまでルパンは、カリオストロの偽札掴んだのを切欠に、今度こそ謎を解き明かそうって行き先決めてるからさ」


 あ。俺は一発で分かったぜ?
 そんな誰も聞いていない答えと共に、視線を空へ。
 遥かな過去を、つい昨日のことを回想するよう、遥か遠くへ視線を向ける。






「っ……メリル!!」


 時空が裂ける。
 人一人分の隙間から飛び出す、小さな影。


「…………」

「……ユメルちゃん?」


 反応を示さないメリルに代わり、エリスが驚いたような目を少女へ向ける。


「久しぶりエリス。ちょっと緊急……なんだけど……。
 メリルは……やっぱり、まだダメだよね……」






「……ユメルはモチロン、メリーにだって本筋は無い。
 物語はいつだって、その本筋は最初に提示されるんだ。最初に、兆しが見えてるもんだ。
 メリルの森羅万象なんてオマケもいいトコ。
 成し得たかも知れぬ未来の幻影、そんなの今期の思いつき。
 ミルフィーユなんてとってつけたような悪役、脇役。
 さて、メリルの本筋は何だったんだろうね?」


 言葉と共に、仰々しい仕草で両手を拡げる。
 芝居がかった一礼の後、じっと相手を見遣りながら……。


「――これは、愚か者の物語だ」


 そう、一言。


「へへっ、一度言ってみたかったのよ。ペパーミントな」


 略称を呟きながら、化学繊維がほくそ笑む。
 己が企みと、その正否。
 夢想を思い、ほくそ笑む。







「緊急……時空間図書館に、何か、あったのですか?」

「……、瑞奈が……っ、時空間図書館を、襲撃してる……」

「み、瑞奈さんがっ!? どうしてそんな……っ」

「許可証無しで全織を得たいって。
 瑞奈の目的には、あの子が持ってる知識だけじゃ足りないって。
 今は、レムが相手を……話し相手とかじゃなくて、そのままの意味で、相手をしてるよ」

「それでメリルを……」

「うん……メリルなら、水に特化したメリルなら、瑞奈の炎と、相性がいいからね。
ユメルだと、どうしても氷に寄っちゃうから、単純に魔力のぶつけ合いになっちゃう……ユメルじゃ、ダメだったよ……」







「メリルは、抱え込んだ物を人には話さない。
 何か起きても、できるだけ自分で片付けようとする。
 最悪それに飲み込まれたとしても、厭わない……。
 一期の頃から、ずっと。今期に至っても、そういう風に生きてきた。
 どれだけぶれても、そこだけは一貫して変わらなかった」

「そんなんだから、アイツは常に自分の事で頭がいっぱいなワケよ。
 まあ、周りに目が行かないんだねえ、気配り云々以前。
 何かしら問題がある限り、常にそれどころじゃない状態って感じ?
 ……もっと上手くガス抜きしてれば、また違ったかもしれないね」

「この物語はな、上手く本音を晒せなかった愚かなメリルと、
 誘導に適した位置に居ながら、微塵も好転させられなかったメリー。
 その2人を、見守る事しかできなかったこの俺。
 愚か者3人の物語……」







「でも、レムは……あんな飄々としてるけど、仮にも十一の神位持ちだから……っ!
 本気を出したら、瑞奈だってあっという間に殺されちゃう。
 だけど! だからって……手加減をして勝つには……瑞奈は少し、強すぎる……」

「そう、ですよね……瑞奈さんは、膨魔の……」

「……今は、なんとか引き延ばしてって頼んでいるけど、あんまり長引いたら……レムは引き金を引くと思う。
 あの人はなんだかんだで神様だよ……感情より役目に忠実だから、慈悲には、限りがある」

「その点メリーならまだ、上手くやれるし、神位も飾りみたいなものだから、強さも丁度良いんだけど……連絡、取れないんだ。
 多分また、時間も時空も越えた何処かの世界で、仕事してるんだと思う。
 メリーだけの仕事を始めちゃうと、コッチから連絡は取れないから……」







「……けど、それも全てが終わりを告げた。
 俺は愚か者が愚かなまま辿り着く結末を選び、メリーもまた……。
 自分より他者を優先する、愚か者として幕を閉じた。
 メリルに至っては、言うまでも無い。でも、まあ……」


 ――化学繊維は、静かに笑う。


「だからといって、不幸なエンドマークで終わりを告げる俺じゃあ無い」






「……わかりました。私が行きます」

「エリスが? ……確かに、エリスの法術なら……瑞奈の魔力だって、防げ……ううん、少し足りない……っ」

「ええ、あの子の魔術を防ぎきるには……今の私では、難しいと思います。
 ですが、今でも回復法術でしたらそれなりに使いこなせます」

「…………」

「……残酷な事に、なるかもしれません。
ですが、命を失うよりはマシでしょう……。
瑞奈さんの怪我を私が癒し、それを彼女が諦めるまで……繰り返す……」







「というかね、俺だけは、この世界で俺唯一人だけはそれをやっちゃあいけないんだ。
 俺達みたいな連中はさ、やっぱりあいつらにとって親なんだよ。
 産み出して、環境に育てられるのを眺めているしか出来なくて、それでも、出来る限りは関わりたいと願って……」


「そりゃあ、やらかした子を叱るのは親の役目だ。
 だからといって、それが全てで在るハズが無い。
 ……あるだろ?
 やらかしてさ、メチャクチャ叱られてから家に帰る時の、ぜってー怒られるって思ったのに軽い説教で済んだ、あの感じ」


「……罰の無い罪なんて、この世には無い。
 ガッツリ罰を受けてきた我が子を叱りとばす親もまた然り。
 十分苦しんでるヤツにお前が悪かった、何でそんな事をした、なんて掘り下げるような真似はちょっとできない。
 俺は、俺の作ったこの世界は……帰るべき家は、何も言わずに迎え入れてくれるような、そーゆー場所でありたいね」


 ふっと、眼下の世界を見下ろし。
 戻し、先に在る世界を見遣り。


「だから……ここからは、精一杯のハッピーエンド」


 再び、両手を目一杯に拡げる。


「例え、手札の全てが塵と消えても。
 起き上がれないだけの傷を受けたとしても。
 その他諸々、思いつく限り一切合切全ての理由、例えそれが全部一気に兼ね備えられたとしてもだ。
 俺は例え何が起きても、コレができるよう、常に意識を向けていた。
 何か起きるかもしれないとずっと疑い続けていた……これは、俺の愚かさかもしれないね?」


 そこから微か、左手をより長く伸ばそうと試み、震わせ。


「今回に限っては、珍しくアテがハマってね。
 いつも運命は想定外、ねじ曲がった道筋を修正する為。
 俺は何度も何度もコイツを鳴らし、運命をムリにねじ曲げた」

「ところがどっこい、今回ばかりは必要ない。
 俺が何もしなくてもメリルはもうじき立ち上がる。
 けどさ……だからって何もしないのは、ちょーっとほら、寂しいじゃん?」


「だから、今回の俺にも、一個だけやる事を用意してみたわけで……」


 相手の視線を、その掌へと誘導する。


「俺の指鳴らしには、二つ。パターンがあるわけよ。
 一つは言うまでもないな、この力で、アレコレ暗躍する時の決めポーズ。
 そして、もう一つ……」







「……っ、でも、それじゃあ瑞奈が……!」

「心の傷まで、癒すことができません……。
 ……そればかりは、彼女が受けるべき……罰と、言わざるを……」

「……それしか……無い、かな……」

「……すみません。私の力不足としか……言えませんね」

「そんなっ! ……死んじゃうよりは、きっとマシ……だよ」

「…………」









 化学繊維が、その声を目一杯張り上げて……。


「運命が動く瞬間を見定めて!
 さも『俺がやりました!』って見せつけるが如く!
 例えなーんにもしてなかったとしても……。
 絶妙なタイミングで、打ち鳴らすわけよ!!」



 ――パチン。
 フィンガースナップが、大気を震わす。







「……誰にも、止められないんだね」





BGM 贖罪のエロティカ (c) 柛原ゆい



「っ!?」

「え……っ!?」


 水が、集う。
 意思の元に上げられた左手に、大気が纏い、水を成す。


「メリ、ル……?」

「……行かないと……瑞奈は、殺されちゃうんだよね」





「無機質な瞳も、世界を写す。
 無気力な魂にも、言葉は届く。
 今のあの子に、立ち上がるだけの力は無いが……。
 世界が、言葉が、あの子に力を貸してくれる」

「必要なのは切欠だけで、理由なんて、そんなもんでいいんだ。
 立ち上がる理由なんて、いつだって端から見たら些細な物。
 だからこそ、その矮小なる理由で、誰だって心に火を灯す」





「……大丈夫」



 それは、余りにハッキリと分かる故、誰にも指摘などできやしない。
 何も騙せぬ小さなウソ。





「メリルは、もう折れない。
 何故ならその心は、未だ繋がっていないから
 不安定なまま、膝を折ったまま、ただ、気合いだけを頼りに立ち上がる」





「それなら……寝てなんか、いられないよ」





「歩みを止めるのは、何よりも不幸だ。
 逆を言えば、どんな状況でも歩き続けるなら、それは不幸には成り得ない。
 例え命を失ったとしても、明確な来世がそこに在るなら、それはそれで幸せな結末だ。
 AIRは許さないが!」





「瑞奈が、どんな覚悟を持っていても、それが、必要な事だとしても……」





「メリルは変わらないよ。
 これからも流されるまま、誰よりもか弱く、ただ力強く生きていく。
 だが、それでいい。
 歩むことを止めなければ、藻掻き続けるならば……
 その先に、未来があるのだから――」





「メリルが……絶対、止めてみせる」






 ――化学繊維は、静かに笑う。

「あの子の復帰を、神々に知られるのは困る。
 メリルにはもう少し、限られた者だけが知る人生を歩んで貰わないと、色々不具合が生じるのさ。
 この復活は、レム以外の誰にだって、知られるわけにはいかない。
 唯一、神々の中で物語を語る事を許されぬあの子以外の、誰にもな」





 メリルはゆっくりとした動作で……蒼を掲げて、立ち上がる。
 その顔に、『お姫様』の面影は既に無い。


 ――それは、愚か者の物語。
 ――それは、紆余曲折の物語。


 敗北に惑い、片割れと別れ。
 友情に惑い、自分を隠し。
 造られし者に、幾度も敗れ。
 夢に翻弄され、夢に惑い。
 夢の最中に姫と化し。
 姫と剣士とを彷徨い、彷徨い。
 その果て、故郷で眠りに落ちた後……。





「だから、俺が語ろう。
 神で無くなった俺が、唯一つの存在に過ぎない、だが、全てを司るこの俺が
 声高らかに詠ってやろう、その再起に、祝福をくれてやろう」





 折れた剣を手に、立ち上がる。
 ――騎士は、静かに立ち上がる。











「さあ――」








「行こう、ユメル……瑞奈を、止めないと……っ!」







「物語を、はじめよう!」










 ここからは――1人の騎士の物語。






till the end of time
next-Infinity future








next――
『其れは不要な物語』