「旅人は砂糖菓子を抱いて」





 ――生まれたての世界。
 空駆蜥蜴の月、第三週、孔雀の日。


「……結局、すぐ、居なくなった」


 眼前には海原、背後には山脈。
 木々と水とに囲まれ、風の最中に少女が佇む。

 小高き丘は、世界の狭間と言っても良い程、周囲に全てを眺め、見下ろし。
 そこに1人。性格には1人と一つ、立ち竦む様は呆れてるようにも、納得しているようにも見て取れる。


 ゼウス。
 神位第四位、総神の号を持つ、総べてを見守り総べる神。


「予想はしてた。世界を、アレを連れて歩いても……面白く、無いから」


 アレ――化学繊維を回想し、小さく溜息。
 自分勝手、が被り物を纏って歩いているような生命体。
 目的を達する為ならば、如何なる非常識さえやってのける不条理の権化。


「……居なくなるような気はしていた。私を、楽しませる為だけに」


 世界の全てを創り、世界の全てを知り、あらゆるモノを、その場で産み出す事ができるモノ。
 ……世界を視る旅においては、最低のパートナーといっても過言では無い。


「でも、いきなり放り出すのは……責任が、なさ過ぎ」


 溜息と共に、腰を下ろす。
 程よい疲労感と、心地の良い風。
 世界全てを詰め込んだかのような、眼下に広がる大自然。

 身を休めるには、その丘は何よりも適していた。


「世界は、小さいね。でも、とても広い」


 ゼウスは揺れる髪も気にせず、抱いた人形に語りかける。


「いつも見ていた世界の、ほんの僅か。とても小さな世界しか見てないのに、歩いてみると……こんなに、広い」


 矛盾した言葉は、彼女故の価値観。
 ずっと世界に憧れていた、無垢なる彼女の初心な意思。


「メリルは、ずっとこんな世界を冒険していたんだね」


 思い返すは……自分を救うハズだった、少女の回想。
 ここ数年、ずっと見守っていた1人の少女。


「そんなメリルでも……あんな小さな島で、終わっちゃう」


 今は歩む事を止めてしまった、彼女の記憶。


「……私は、どうなるのかな。何を見つけて、何を思って……何処に、行けるんだろう」


 そんな呟きを、風に乗せる。
 ……それに応えるよう、少女の胸で人形が震える。


 ――大丈夫。


 それは、大気には乗らぬ小さな言霊。
 抱く彼女のみに伝わる、人形が抱く砂糖菓子の意思。


 ――私はもう二度と、目の前で絶望を産みはしない。


 誰よりも早く、世を跨ぐ危機に築いた存在。
 誰よりも早く、この結末を憂いた存在。

 誰よりも早く……物語から退場した、優雅で哀れな黒の騎士。


 ――例えキミを絶望の淵に叩き込んででも、全ての不幸から護ってみせる。もしもの時は、その時は……。


 砂糖菓子は静かに、だが確かな意思を少女へ告げる。

 幸せを望む。
 命題を違える事で、目的を変える事で、護ると言う意思に強さを乗せる。


 ――夢を魅せてあげる。キミが、永久に幸せで在るように。


 幸せを望んだとして、幸せになるとは限らない。
 だが、不幸を退ける事は、その兆しを取り除く事は……。
 二の鉄は踏まぬ、確かで強く、甘い意思。

 それは、何人も護る事が出来なかった、守護者の決意。


「……ありがとう、ミルフィーユ。でも、今のは不安とは違うんだ」


BGM future gazer (c) frip side



 少女は無表情のまま、人形を抱く手に力を込める。


「私ね、それを考えると……物凄く楽しい。まだ上手に笑えないけど……多分、笑うって、こういう時にする表情なんだろうって思う」


 見上げるは空、白い雲。
 遥かな水平線で蒼と混じる、何処までも拡がる空の色。

 それに惹きつけられるよう、少女はゆるりと立ち上がる。
 軽く服を叩き、土と草を落とし、何処かへ伸びる獣道へと目を向ける。


「まだまだ、何処までも歩けそう……疲れたらちゃんと休むから、行けるだけ行っても、いいよね?」


 砂糖菓子は言葉を返さない。
 ただ、少女の腕の内に収まり、無反応を以て彼女の全てに肯定を返す。


「……行こう、ミルフィーユ」


 ゼウスは、風に遊ばれ顔を上げ、何処までも拡がる世界を見遣る……。









「私だけの物語を、見つけに」


 音を纏って風が吹く。
 草木を揺らし、雲を運び。
 蒼穹は何処までも蒼く、蒼く。


 神は――救われる事の無くなった神は、自らの意思で救いを選ぶ。
 それはお姫様の拒絶であり、同時に、その全てへの享受であり。
 いずれ何者かとなるその日を夢見、夢を抱えて一歩踏み出す。


 少女の目の前には――無限の世界。





next――
「幻想世界のリスタート」