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『春の記憶』










 ――なりたかった自分が、思い出せない。

 独特の異臭を含んだ風が、私を撫でる。
 現世の空気。
 今となっては違和感さえ覚えない、幻世には有り得ぬ臭気。

 あれから、どれだけの時間が過ぎたのだろう。
 時空を越えてばかりだと、時間の感覚が消えていく。


「……メリー?」

「ん」


 不安げな声に、無理矢理な微笑を返す。
 少し、表情に出し過ぎた。


「今回は1つだけ、これが終わったらまたしばらくは幻世だよ」


 紛らわすために、そう呟く。


「そっか。いや、元気なさそうだったからさー、幻世恋しいのかなって思ってたトコ。それなら安心かな?」

「ん。そうだね……久しぶりに、時空間図書館にも寄りたいな。ユメルの顔も見ておきたいし」
「……私からしたら久しぶり、でも、ユメルからしたらどうなのかな。今度は、何日振りになるんだろう」

「…………」


 会話が、止まる。
 思わず口にした本音と、その意味を思い、メリーが自嘲気味に苦笑する。
 どうにも気が緩んでいるようだ。


「……チェル子も、黄金許可証を取れたんだっけ」


そう、話題を切り替えた。


「まあねー」

「じゃあ、私の仕事も理解できるんじゃないかな……これまでの案件、思い出してみて」

「えーっと……全部、既にある事象への介入だったよね。何でなんだろうなー、今思えば新しく何かをするって案件が全然無いね」

「その前に、やらないといけない仕事が多いんじゃないかな? 今日のもだけど……チェル子だと、既にあるって事しか分からないでしょ?」

「そういえばそうだね、詳細はコードレッドかかってたし、これまでのも全部終わってからじゃないと詳細がー……ああっ!?」

「分かったみたいだね。多分、私に与えられてる仕事って……閲覧制限を消し去る事、だよ。
 ……秘匿された情報を、公開できる情報に塗り替える事、じゃないのかな」


 世界を、私色に染め上げる。
 それが最初に与えられた、今も続けている私の仕事。

 私自身は、クマの尻拭いだと解釈している。
 アイツがこれまでやってきた介入を、そのまま、私になぞらせて……。

 多分、覚えているんだ。
 『私ならもっと上手くやってみせる。もっと上手く、やってみたい』
 私の願いを叶えようと、私に、現実を突きつけようと、その為に、同じ行為をなぞらせる。

 アイツの考えそうな、悪趣味で無価値な。
 世界にとっては無意味でも、私の心にだけ意味を成す、そういう行為。


「あ、誰か来た……対象ってアレ?」

「ん。違うよ、幻世人の方だね」


 眼下を駆ける、人影三つ。
 ――先程確認した時から、二つ減った人影に、メリーは思わず目を伏せる。

 一つは、その身に有り余る弾丸を浴び。
 もう一つは――大切な人を、護るために。


 ――白金許可証が、疼く。
 私は、この物語を知っている、その結末を知っている。

 もっと早く動けば、全ての悲劇を止めれたのに。
 ……そうする事で乱れた因果は、数えきれぬ不幸を産むと、知っている。


 彼は、死なねばならなかった。
 彼は、絶望しなくてはならなかった。


 ただ、それだけの物語。


 物思いから、現実へと帰る。
 今正に振り上げられた手を、冷たく輝く氷塊が包む。
 それが振り下ろされる刹那に、千切れたページを投げつける。


「……っ!? 何事だ……っ!!」

「――そこまで」

「な……っ!?」

「えっ……な、何っ、どうなったの……えっ!?」


 驚愕と戸惑い。
 三人の視線を浴び、メリーは静かに舞い降りる。


「これ以上、現世の律を乱すのは許さないよ」

「また、変な人が……」

「下がってろっ……なんだこれ、妙な……っ」

「っ……この、気配……そうか、貴様っ……!!」


 手段を変えるのは、構わない。
 ただ、介入対象を変える事だけは許されない。

「現世へ、意図的に武装を持ち込む事、よりにもよって永久武装の、リヴァイヴァルナンバーを……見過ごせる事案では無いね」
「その上、目的のために現世人を殺めた。もう、何を弁明しても聞く事はできないよ」

 私は決して、被害者である彼らに声をかける事はできない。
 用件以外を告げる事は許されない。


「――神位第三位の元に、貴方を粛正します」


「っ……! 三位……っ!! 僥倖、僥倖!
 先ずは貴様から正してやるっ! 双世どちらにも神など不要!
 人が人のみで歩むこそ、世界の正しき姿也!!」

「…………」


 男は歪な笑みを浮かべ、刹那の内に身を翻す。

 己の背後。
 呆然と立ちつくす少年へ……。


「くそっ、分かってんだよ!! 勝てないからってコッチ来やがって……負け犬がっ!!」

「寄越せ! 其れは、この時の為に……っ!!」


 目当ては、彼の手に収まる銀の銃。

 ――其れは、何時の日か夢見た投影機。
 神を穿ちし思い出を籠めた。

 神を殺める、数少ない"力"。
 父が産み出した、異端なる兵器。


 ――永久武装。


「速っ……!? ダメだ、分かったってこんな……っ!」


 掲げたそれを、使いこなす術は"未だ"無く。
 少年が"何らかの根拠"の元、生存を諦めたその刹那。


「っ!?」

「なっ……!?」

「私の話、聞いてた?」


 凍てつくソレを、メリーの右手が静かに抑える。


「馬鹿な……我が全力をっ、片手で……!?」

「覚悟は、していたでしょう。
 自分の力が通じないって理解したから、ソレを求めた……彼の言う通り」

「くっ……!!」


 男の身体が震え出す。
 それ程までの力を籠め、腕を引こうと試みるも……。


「後、少し……っ! ほんの僅かな時さえあれば、成せた物を……!!」


 その手が、動く事は無い。


「ウソ、だろ……今確かに、どう足掻いても死ぬしか……。
 ……勘が……通用、しない……?」


 次元を越えたやり取りを眺めながら、少年が呟く。
 その声を背に浴びながら、メリーは……音もなく左手に剣を取り。


「……龍殺しから世界樹へ、夢幻ゆめまぼろしから無限の雪へ、音も無く移ろう運命の交差――それは散り行く薔薇のように」

「くっ……!
 馬鹿なっ、こんな、終わりが……! 後少しだと、言うのに……っ!!
 こんな……っ!!」

「――"Paradiso"」

「っ……ぐ、ぉ……おおおおおおぉおぉおおおおおぉ!!」





 ――――。
 ――。





「……ふぅ」


 その一撃で、全ては終わり。
 メリーは乱れた髪を正しながら、小さく溜息を零す。
 待ち受ける陰鬱から、目を逸らすように……。


「……なんだよ、それ」


 メリーは応えない。
 それを許されていないから。


「どうしようもなくなったら……天から助けが降りてきました、ってか……?
ふざけるなよ……それなら何で、もっと……後ほんの少しでも早く、来てくれなかったんだよ……!!」


 メリーは応えない。
 かける言葉を、知らぬから。


「なんなんだよ!! てめぇっ……ずっと……ずっと、見てやがったな……っ!!」

「…………」

「分からねえ事ばかりだっ! アンタには全然通じやしねえ、だがなっ! だけどっ……!
何となく、わかるっ、それだけは……っ!!
お前っ!! ……神様とやらは……アイツを見捨てたって、事かよ……っ!!」


 その問いに、答える事は許されない。
 ……仮に許されて居たとして、その通りだ、などと――答えたくもない。


「……それは、貴方に預けておきます」

「っ!! 質問に、答えろっ!!」

「それが貴方自身を助け、救う事があると思う。それまで、無くさないで……」

「待てっ! まだ話は……ぐっ……!」

「光吉っ!!」


 蓄積されたダメージに、少年が膝を付き。
 呆然としていた少女が寄り添うのを確かめた後、メリーは音もなく地を蹴った。

 白き翼が、夜闇を駆ける。


「何だよそれ……神だのなんだの、わけわかんねえよっ!!」


 振り向きたくなるのを、必死に堪える。

 湧き上がる弁明を、釈明を。
 その全てが、自分にしか意味を成さぬと弁え……歯を食いしばり、喉奥に封ずる。

 人の身にとって、神の都合など意味は無い。


「見過ごせないって言ったな! アイツがしでかした事は許されなかったんだろ!
じゃあ何でもっと早く止めなかった、どうして、今更……っ!」


 識っている。

 この事件の中心に居た彼らが何を見、何を知り、そのどれだけを理解し難いと思ったか。
 彼がどれだけ特異な人間で、本来なら万象を知り得るだけの能力を持ちながら、此度、産まれて初めての未知数に出会ったか。

 彼らが、大切な人を失ったことを、知っている。

 その怒りは、当然で。
 何処にもぶつけられないソレが、自分に来るのも仕方がない。

 メリーは、全てを識っている。


「くそっ……何だよ、これ……っ、こんな能力あったって、何も……っ!!」


 慰めの言葉も、何もかも。
 放てる一切が、意味を持たぬのを識っている……。


「メリー……」

「……行くよ、チェル子」

「っ……、いいの?」

「これでいいの……これしか、無いの」


 ――なりたかった自分が、思い出せない。

 私は……誰かの運命を救いへ向ける為、こうなったのでは無かったのか。
 それが必要だからと、救いを捨て、唯見守るなど、誰が望んだ事なのか。

 私が本当に救いたかったのは、彼らのような存在では無かったのか……。



「何が神だ……ドチクショウがあぁあぁっ!!」



 神の都合で左右されるのが嫌で、そう成らぬよう、成ったのに。

 私も――結局、同じ事をしているのかもしれない。

 月と同化した私を、彼はずっと睨み続けていた。
 逆光で見えぬはずの姿に、射抜くような眼差しを向けていた。

ED_BGM distorted pain (c)電気式可憐音楽集団


「メリー……」

「私達に出来る事はもう……無いから」


 その日、世界はまた一つ、新たな形に修正されて。
 全ては夢を魅るその日まで、緩やかに緩やかに回っていく。



 ――それは、足跡を消し去る為の、悠遠に続く無意義な儀式。
 メリーに与えられた、長い、永い、神様のお仕事。


























『そうして今日も、世界は廻る。
いつまでも、いつまでも。

――世界の潰える、その日まで』

2011 8/18
クマヘッド三根崎優介